カッシュワブリューイング_フェイスチョップ

Face Chopフェイスチョップ

COLUMN面食らうほどのシトラが押し寄せる、シトラホップ100%のヘイジーIPA

カッシュワブリューイングカンパニー(Cushwa Brewing Co.)の「フェイスチョップ」(Face Chop)は、その名の通り、顔面にチョップが入るようなインパクトが特徴のヘイジーIPA。

パッケージにはコミカルに顔面にチョップする様子が描かれており、その力強さを視覚的にも表現しています。

このビールはシトラホップを100%使用。ビールの見た目はヘイジーIPAらしく、濁ったイエロー色をしています。

グラスに注いだ瞬間に立ち昇るシトラホップ特有のトロピカルシトラスの豊かな香りが顔面を叩いてくる。口に運ぶと、パイナップルやパパイヤのフルーティな味わいが広がります。

アルコール度数は8.2%とヘビーウェイトながら、口当たりは軽く、デリケート。そのバランスが絶妙な「フェイスチョップ」は、まさに面食らうほどのインパクトを持つヘイジーIPA。ぜひ一度、このシトラホップの迫力を体感してみてください。

カッシュワブルーイングカンパニーのクラフトビール

フェイスチョップのブルワリー / ビアスタイル / 原産国

カッシュワブリューイングのロゴ

Cushwa Brewing Companyカッシュワブルーイングカンパニー

カッシュワブルーイングカンパニー(Cushwa Brewing Company)は、アメリカ、ポトマック川沿いの町、ウィリアムズポートで誕生したクラフトビールブルワリーです。 このブルワリーの名前、カッシュワ(Cushwa)は、地元のランドマークであるC&O運河のカッシュワ盆地に由来しています。この運河は全長184.5マイルに及ぶ遊歩道を特徴とし、地元住民や観光客たちが楽しむレクリエーションの場となっています。カッシュワブルーイングカンパニーは、この地元の景色を象徴する名前を冠することで、ビールを通じた地域貢献を誓っています。 その立ち上げは、一見野心的に思えるかもしれません。しかし、3人の友人が共有するビールへの情熱と、それぞれが持っている異なるレベルの専門知識と背景が、このエンデバーを興奮に満ちたものにしています。彼らは最高の製品を提供しながら、地域社会に肯定的な影響を与え、ビール産業と仲間の醸造家への尊重を忘れないことを目指しています。 ウィリアムズポートという町は、地元のビジネスの成功と、C&O運河国立歴史公園への近さによって繁栄しています。この町は訪問者を歓迎し、地元の人々を大切にしています。カッシュワブルーイングカンパニーもまた、このウィリアムズポートの一部として、地元を愛する心を持ち続け、その魅力をビールという形で伝える存在となりつつあります。
5種類のクラフトビールが注がれたグラス

IPAIPA

IPA(インディアペールエール)は、ペールモルトを使用して上面発酵で作られるペールエールの一種で、ホップの風味が強いことが特徴です。 1815年ごろにイギリスからインドに輸出するための長い船旅に耐えられるよう、ペールエールよりも麦芽を多く使用してアルコール度数を高めて劣化・腐敗を防げるよう保存力を高めたビールが開発されました。そして、1829年に「IPA(インディアンペールエール)」の呼び名で広告が掲載されて以来、ホップの比重が高いビールとしてイギリス国内で人気が高まっていき、21世紀にはイギリスで最も人気のあるビアスタイルの一つとなりました。イギリスのブルワリー教会SIBAの金メダルを受賞したブリュードッグの「パンクIPA」などが有名です。 伝統的なIPAのスタイルは、オーストラリアやニュージーランドなどの当時の植民地諸国へと輸出され、各国へと普及していきましたが、アメリカではさらに独自の進化を遂げてきました。 ローストしたモルトを使用した「ブラックIPA」、アミログルコシターゼという酵素を加えて頭部を取り除きドライで爽やかな飲み口を実現した「ブリュットIPA」、ホップが強烈でアルコール度数が7.5%を超える「ダブルIPA(インペリアルIPA)」、苦味の少ないホップを使い、ジューシーな柑橘系とフローラルのフレーバーが特徴の「ニューイングランドIPA(ヘイジーIPA・ジューシーIPA)」など様々なIPAのスタイルが存在します。
アメリカの風景

United States of Americaアメリカ

アメリカには6,000以上のビール醸造所があり、世界のクラフトビール市場を牽引している国のひとつです。 しかし、今日に至るまで、常にたくさんの醸造所がアメリカのクラフトビール市場に賑わいをもたらしていた訳ではなく、その歴史には紆余曲折がありました。 当時、アメリカのビール醸造所の数は1873年に一度ピークを迎え4,131箇所もありました。しかし、1920年から1933年にかけて、禁酒法と第二次世界大戦中の厳しいビジネス状況下でその数は50未満にまで落ち込みます。 1970年代後半になり、ホームブルー解禁の影響も受け、何千人もの人々が個人消費のためにビールの自家醸造を始めていました。その中、企業家精神を持った人々によってビジネスモデルが見出され、徐々にマイクロブルワリーが姿を現し始めます。 火付け役の一人となったのがカリフォルニア州にニューアルビオン醸造所を設立したジャック・マコーリフです。彼はアメリカ海軍に勤務している間、世界中を旅して様々な土地のビールを口にしました。そして、スコットランドに在住中、スコットランド人が飲むガツンとした飲みごたえのあるビールに夢中になり、海軍での任務を終えたのちに醸造所を設立しました。 1980年代初頭、ニューアルビオン醸造所はわずか6年あまりで事業を終えてしまいます。しかし、彼の成し遂げた業に何百人もの人々が触発され、その後1990年の初頭にかけて数十の新しい醸造所がアメリカに生まれます。 1990年代、何十ものスタートアップクラフトビール醸造所が熱心に技術開発に取組み、クラフト醸造の基盤を作り上げました。そして2000年代、アメリカビール市場におけるクラフトビールブームとともに醸造所の数は急成長を遂げ、かつての活気を取り戻したのです。
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