リキッドホッピネスIPA(Liquid Hoppiness IPA)

リキッドホッピネスIPALiquid Hoppiness IPA

COLUMNホップのみずみずしさを存分に楽しめるIPA

Liquid Hoppiness IPA(リキッドホッピネスIPA)は、アメリカのSIERRA NEVADA(シエラネバダ)が造るジューシーIPAです。

夏から秋にかけて販売される新しい季節限定IPAで、その名の通りみずみずしい口当たりとガッツリ感じられるホップのアロマと苦味がジューシーなIPAとなっています。

シエラネバダのクラフトビール

Liquid Hoppiness IPAのブルワリー / ビアスタイル / 原産国

シエラネバダのロゴ

SIERRA NEVADAシエラネバダ

SIERRA NEVADA Brewing Company(シエラネバダブルーイングカンパニー)はケン・グロスマンがアメリカのカリフォルニア州で設立した醸造所で、2016年時点でアメリカで3番目に大きい個人所有のクラフトビールブルワリーとなっています。 創業者のケンは、まだアメリカで自家醸造が合法化されていない1970年代にホームブルーショップを開業しました。 そして、1978年シエラネバダ山脈を登山旅行した時に「醸造所を立てる」というアイデアを決心し、1980年にリサイクルされた設備などを再利用して醸造所をゼロから建設しました。 1980年11月21日にアメリカ産ホップの代表とも言える「カスケードホップ」が誕生。このカスケードホップを使用し、柑橘系の香り高いシエラネバダペールエールが生まれます。 シエラネバダペールエールはアンカーブルーイングのアンカーリバティーエールと並び、アメリカンスタイルの元祖とも言われ、アメリカのクラフトビール市場に革命を起こした銘柄です。 創業者のケンが登山家であったことからも、サスティナブルなビジネスの実践に注力しており、シエラネバダは2010年にアメリカの環境保護庁から「グリーンビジネスオブザイヤー」に選ばれています。
5種類のクラフトビールが注がれたグラス

IPAIPA

IPA(インディアペールエール)は、ペールモルトを使用して上面発酵で作られるペールエールの一種で、ホップの風味が強いことが特徴です。 1815年ごろにイギリスからインドに輸出するための長い船旅に耐えられるよう、ペールエールよりも麦芽を多く使用してアルコール度数を高めて劣化・腐敗を防げるよう保存力を高めたビールが開発されました。そして、1829年に「IPA(インディアンペールエール)」の呼び名で広告が掲載されて以来、ホップの比重が高いビールとしてイギリス国内で人気が高まっていき、21世紀にはイギリスで最も人気のあるビアスタイルの一つとなりました。イギリスのブルワリー教会SIBAの金メダルを受賞したブリュードッグの「パンクIPA」などが有名です。 伝統的なIPAのスタイルは、オーストラリアやニュージーランドなどの当時の植民地諸国へと輸出され、各国へと普及していきましたが、アメリカではさらに独自の進化を遂げてきました。 ローストしたモルトを使用した「ブラックIPA」、アミログルコシターゼという酵素を加えて頭部を取り除きドライで爽やかな飲み口を実現した「ブリュットIPA」、ホップが強烈でアルコール度数が7.5%を超える「ダブルIPA(インペリアルIPA)」、苦味の少ないホップを使い、ジューシーな柑橘系とフローラルのフレーバーが特徴の「ニューイングランドIPA(ヘイジーIPA・ジューシーIPA)」など様々なIPAのスタイルが存在します。
アメリカの風景

United States of Americaアメリカ

アメリカには6,000以上のビール醸造所があり、世界のクラフトビール市場を牽引している国のひとつです。 しかし、今日に至るまで、常にたくさんの醸造所がアメリカのクラフトビール市場に賑わいをもたらしていた訳ではなく、その歴史には紆余曲折がありました。 当時、アメリカのビール醸造所の数は1873年に一度ピークを迎え4,131箇所もありました。しかし、1920年から1933年にかけて、禁酒法と第二次世界大戦中の厳しいビジネス状況下でその数は50未満にまで落ち込みます。 1970年代後半になり、ホームブルー解禁の影響も受け、何千人もの人々が個人消費のためにビールの自家醸造を始めていました。その中、企業家精神を持った人々によってビジネスモデルが見出され、徐々にマイクロブルワリーが姿を現し始めます。 火付け役の一人となったのがカリフォルニア州にニューアルビオン醸造所を設立したジャック・マコーリフです。彼はアメリカ海軍に勤務している間、世界中を旅して様々な土地のビールを口にしました。そして、スコットランドに在住中、スコットランド人が飲むガツンとした飲みごたえのあるビールに夢中になり、海軍での任務を終えたのちに醸造所を設立しました。 1980年代初頭、ニューアルビオン醸造所はわずか6年あまりで事業を終えてしまいます。しかし、彼の成し遂げた業に何百人もの人々が触発され、その後1990年の初頭にかけて数十の新しい醸造所がアメリカに生まれます。 1990年代、何十ものスタートアップクラフトビール醸造所が熱心に技術開発に取組み、クラフト醸造の基盤を作り上げました。そして2000年代、アメリカビール市場におけるクラフトビールブームとともに醸造所の数は急成長を遂げ、かつての活気を取り戻したのです。