トートピアブルワリールビーフォビア

Rubyphobiaルビーフォビア

COLUMNルワリー創立1周年を記念するオートクリームTDHヘイジーIPA

トートピアブルワリー(Totopia Brewery)の「ルビーフォビア」(Rubyphobia)は、ブルワリー創立1周年を記念するオートクリームヘイジーIPA。

この特別感をさらに引き立てるのが、鮮烈なルビー色のジェムストーンがデザインされたパッケージ。真っ白なキャンバスの背景に、深紅の宝石が鮮やかに浮かび上がり、トートピアブルワリーの1周年を華やかに彩ります。

グラスに注ぐと、少し霞んだゴールドの色合い。

味わいは、トロピカルなパイナップルフレーバーが口の中で広がり、それを包み込むようにクリーンなダンクとグラッシーさが感じられます。特に、エルドラドインコグニートやネルソンCGXといったホップの使用によって、トロピカルな香りとオーツの滑らかさが絶妙に組み合わさっています。飲み進めるにつれて、ビター感は強調されず、時間が経つにつれて一層のダンク、グラッシー、パイニーな味わいが演出されます。

トートピアブルワリーは、1周年を迎えるにあたり、これまでの経験と技術を結集して「ルビーフォビア」を生み出しました。このビールは、クリーンでありながらもトロピカルな味わいが際立ち、まさに記念すべき1周年にふさわしい逸品と言えるでしょう。

トートピアブルワリーのクラフトビール

ルビーフォビアのブルワリー / ビアスタイル / 原産国

トートピアブルワリー

Totopia Breweryトートピアブルワリー

トートピアブルワリー(Totopia Brewery)は、愛知県長久手市に位置する、2022年に設立された小規模ながらも壮大なビジョンを持つクラフトビールブルワリーです。 このブルワリーの名前、「トートピア」は、地元の歴史と理想郷(ユートピア)の融合から生まれています。かつてこの地域は「陶都」と称され、その名が示す通り、陶磁器作りで知られていました。この歴史と土地へのリスペクトを込めて、「TOTO」が名前に取り入れられました。一方で、「PIA」はユートピア、すなわち理想郷を指し、ブルワリーが目指す非現実的な理想世界を表現しています。トートピアブルワリーは、現実社会とは異なる、理想を追い求める場所でありたいという強い願いを持っています。 このブルワリーは、まだ見ぬクラフトビールの世界を構築するために設立されました。彼らが造るビールには、大量のホップが使われ、様々な世界観を想像させます。新鮮なフルーツや植物がビールに変身し、その奥深さを一層引き立てます。トートピアブルワリーは、これまでにない新しいビール体験を提案し、ビール愛好者を新たな冒険へと誘います。 長久手市は自然に恵まれ、多くの可能性を秘めています。トートピアブルワリーは、この街とビールを通じて特別な繋がりを感じ、その一部となることを大切にしています。そして、彼らは規模の拡大だけでなく、質的な成長を追求し、その使命としています。 トートピアブルワリーのビールは、一口飲むごとに、その理念と情熱を感じることができます。彼らが追い求める「未知のビール世界」を、私たちも一緒に楽しみながら探求していきましょう。
5種類のクラフトビールが注がれたグラス

IPAIPA

IPA(インディアペールエール)は、ペールモルトを使用して上面発酵で作られるペールエールの一種で、ホップの風味が強いことが特徴です。 1815年ごろにイギリスからインドに輸出するための長い船旅に耐えられるよう、ペールエールよりも麦芽を多く使用してアルコール度数を高めて劣化・腐敗を防げるよう保存力を高めたビールが開発されました。そして、1829年に「IPA(インディアンペールエール)」の呼び名で広告が掲載されて以来、ホップの比重が高いビールとしてイギリス国内で人気が高まっていき、21世紀にはイギリスで最も人気のあるビアスタイルの一つとなりました。イギリスのブルワリー教会SIBAの金メダルを受賞したブリュードッグの「パンクIPA」などが有名です。 伝統的なIPAのスタイルは、オーストラリアやニュージーランドなどの当時の植民地諸国へと輸出され、各国へと普及していきましたが、アメリカではさらに独自の進化を遂げてきました。 ローストしたモルトを使用した「ブラックIPA」、アミログルコシターゼという酵素を加えて頭部を取り除きドライで爽やかな飲み口を実現した「ブリュットIPA」、ホップが強烈でアルコール度数が7.5%を超える「ダブルIPA(インペリアルIPA)」、苦味の少ないホップを使い、ジューシーな柑橘系とフローラルのフレーバーが特徴の「ニューイングランドIPA(ヘイジーIPA・ジューシーIPA)」など様々なIPAのスタイルが存在します。
日本の風景

Japan日本

日本には、明治時代、全国に100を超える小さなビール醸造所が存在していました。当時は清酒以外の酒類には酒税が課せられておらず、ビールには酒税が課せられていませんでした。しかし、明治34年12月軍備増強のための国税収入のため、ビールにも酒税が課せられることになり、資金力の弱い小さなビール醸造所はその負担に耐えきれず姿を消していきました。これによりビール作りは戦後しばらくも資金力のある大手だけのものとなっていました。 しかし、1994年(平成6年)、経済政策の一環としてに酒税法が改正され、ビール製造免許に必要な最低製造量が、従来の年間2,000キロリッターから60キロリッターに引き下げられたことで転機がおとずれます。これにより、再び小規模な醸造所の市場参入が可能になり各地で多くの地ビールが誕生する流れができました。ちなみ、地ビール製造免許第1号は新潟県のエチゴビールと北海道のオホーツクビールで、国産地ビール第1号ともいえる「エチゴビール」 と「オホーツクビール」が発売されました。 この経済政策は功を奏し、日本中に続々と地ビール製造業社が生まれ、地ビールブームと呼ばれるまでとなり一時は260を超す醸造所が全国各地に誕生しました。しかし、ただブームだけに乗って参入したきた業社は、ビールの品質が低かったり、販路をもたなかったりと、地ビールの話題性だけでの経営は長続きせず徐々にその数を減らしていきました。 しかし、2011年頃よりクラフトビールに徐々に火が付きはじめます。それまでの醸造所/地ビールからブルワリー/クラフトビールというような呼称の変化も見られ、若者を中心にビールの新たなスタイルとして受け入れられるようになりました。一時は200程度まで減った醸造所も徐々に増え、現在では全国に300近くの醸造所が個性的なビールを作っています。
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