カサアグリアスペシャリティエールサンデーサン

Sunday Sunサンデー サン

COLUMN小麦が入ったウィートエールベースのヘイジーDIPA

Casa Agria Specialty Ales(カサ アグリア スペシャリティエール)のSunday Sun(サンデー サン)は、小麦が入ったウィートエールベースのヘイジーDIPA。

パッケージにはSunday Sunのネーミングのとおり、真っ赤な燃えるような太陽を背景にビーチでくつろぐ女性が描かれています。

ビールの色合いはしっかりとにごったヘイジーイエロー。

ウィートエールベースならではのふわふわクリーミーな口あたりに、柑橘と白ブドウみをジュワッと感じるトロピカルノート。

ABV7.8がウソみたいに軽やかな飲み心地で、ほんとにゴクゴクいけちゃう危ないやつです。

カサ アグリア スペシャリティエールのクラフトビール

サンデー サンのブルワリー / ビアスタイル / 原産国

カーサアグリアスペシャリティエールのロゴ

Casa Agria Specialty Alesカサ アグリア スペシャリティエール

Casa Agria Specialty Ales(カサ アグリア スペシャリティエール)は、2015年カリフォルニア州オックスナードで創業したクラフトビールブルワリー。 カサ アグリアは「酸っぱい家」という意味で、3人の創業メンバーのうち2人、エリックとマイクの歴史が長いホームブルーイングの下積み時代から始まっていることに由来しているそうです。 短大で友人関係にあったエリックとマイクが、同じ大学へと進学し、「ビアクラブ」という活動を始めます。そこでは「全員がまだ飲んだことないビールを持ち寄る」というルールのもと、ビールをシェアしあい、クラフトビールについて語り合ったそうです。 そして彼らのクラフトビール熱は社会人になっても冷めることはなく、叔父の誘いでホームブルーイングを始めます。サワービールや複数の酵母を使った挑戦的なビールを醸造しては、クラフトビールのコンテストに出品し、全米レベルの賞も受賞しました。 いくつかの賞を受賞するうちに、友人から「ブルワリーはつくらないのか?」というは質問を投げかけられるようになったそうです。その頃、2人は「自分たちのブルワリーをつくるならあの場所かな」といった話をしていましたが、それはあくまで夢の話程度に思っていたそうです。 2014年頃にカリフォルニア州オックスナードの熱狂的なビールファンたちにエリックのつくったサワービールをボトルシェアで紹介し、彼らの肥えた舌を魅了させている頃、2人は真剣にブルワリー創業を考えていました。 ちょうどその頃に、とあるボトルシェアの場を通じて2人はライアンと出会います。ライアンは2人と同じく熱狂的なビールファンで、2人がブルワリーをつくる計画を聞き、すぐに手伝い始めたそうです。 こうしてカサ アグリアというブルワリーは誕生しました。 創業以来、オックスナードというアメリカでもトップクラスに豊かな農地の土壌で採れる作物を原料に使い、サワーを中心に様々なスタイルのビールを醸造し、世界中のビールファンたちを熱狂させています。
5種類のクラフトビールが注がれたグラス

IPAIPA

IPA(インディアペールエール)は、ペールモルトを使用して上面発酵で作られるペールエールの一種で、ホップの風味が強いことが特徴です。 1815年ごろにイギリスからインドに輸出するための長い船旅に耐えられるよう、ペールエールよりも麦芽を多く使用してアルコール度数を高めて劣化・腐敗を防げるよう保存力を高めたビールが開発されました。そして、1829年に「IPA(インディアンペールエール)」の呼び名で広告が掲載されて以来、ホップの比重が高いビールとしてイギリス国内で人気が高まっていき、21世紀にはイギリスで最も人気のあるビアスタイルの一つとなりました。イギリスのブルワリー教会SIBAの金メダルを受賞したブリュードッグの「パンクIPA」などが有名です。 伝統的なIPAのスタイルは、オーストラリアやニュージーランドなどの当時の植民地諸国へと輸出され、各国へと普及していきましたが、アメリカではさらに独自の進化を遂げてきました。 ローストしたモルトを使用した「ブラックIPA」、アミログルコシターゼという酵素を加えて頭部を取り除きドライで爽やかな飲み口を実現した「ブリュットIPA」、ホップが強烈でアルコール度数が7.5%を超える「ダブルIPA(インペリアルIPA)」、苦味の少ないホップを使い、ジューシーな柑橘系とフローラルのフレーバーが特徴の「ニューイングランドIPA(ヘイジーIPA・ジューシーIPA)」など様々なIPAのスタイルが存在します。
アメリカの風景

United States of Americaアメリカ

アメリカには6,000以上のビール醸造所があり、世界のクラフトビール市場を牽引している国のひとつです。 しかし、今日に至るまで、常にたくさんの醸造所がアメリカのクラフトビール市場に賑わいをもたらしていた訳ではなく、その歴史には紆余曲折がありました。 当時、アメリカのビール醸造所の数は1873年に一度ピークを迎え4,131箇所もありました。しかし、1920年から1933年にかけて、禁酒法と第二次世界大戦中の厳しいビジネス状況下でその数は50未満にまで落ち込みます。 1970年代後半になり、ホームブルー解禁の影響も受け、何千人もの人々が個人消費のためにビールの自家醸造を始めていました。その中、企業家精神を持った人々によってビジネスモデルが見出され、徐々にマイクロブルワリーが姿を現し始めます。 火付け役の一人となったのがカリフォルニア州にニューアルビオン醸造所を設立したジャック・マコーリフです。彼はアメリカ海軍に勤務している間、世界中を旅して様々な土地のビールを口にしました。そして、スコットランドに在住中、スコットランド人が飲むガツンとした飲みごたえのあるビールに夢中になり、海軍での任務を終えたのちに醸造所を設立しました。 1980年代初頭、ニューアルビオン醸造所はわずか6年あまりで事業を終えてしまいます。しかし、彼の成し遂げた業に何百人もの人々が触発され、その後1990年の初頭にかけて数十の新しい醸造所がアメリカに生まれます。 1990年代、何十ものスタートアップクラフトビール醸造所が熱心に技術開発に取組み、クラフト醸造の基盤を作り上げました。そして2000年代、アメリカビール市場におけるクラフトビールブームとともに醸造所の数は急成長を遂げ、かつての活気を取り戻したのです。
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