ワイマーケットブルーイングNEW鬼ヶ島Ⅳnether

New Onigashima Four NetherNEW鬼ヶ島Ⅳ nether

COLUMN唯一無二なキャラクターのブラックニューイングランドWIPA

毎年恒例となった登別地ビールさんとのスペシャルコラボ、『NEW鬼ヶ島』の第4弾Part 2は、『NEW鬼ヶ島Ⅳ』のブラック版NE-WIPA!!色合いは、真っ黒に霞がかかった濃いブラウンカラー。ローストモルト由来の香ばしさがホップのキャラクターと相まって、part1とホップの使用量はそのままにもかかわらず、圧倒的なシトラス感が感じられます。見た目からは想像出来ないやわらかでジューシーな口当たりのユニークなNE-WIPA。(公式サイトより)

Y.MARKET BREWING(ワイマーケットブルーイング)の毎年恒例コラボ銘柄の「NEW鬼ヶ島」第4弾はPart2が熱い。

NEW鬼ヶ島Ⅳ nether(New Onigashima Four Nether)は、ローストモルトを使ったヘイジーWIPA。

液色はスタウトやポーターのフルボディな味わいを想像させるダークブラウン。

しかし、一度口に含むとヘイジーIPAらしいジューシーなフレーバーが炸裂します。

焙煎したモルトのコクをしっかりと感じながらも、モザイクやアマリロホップのトロピカルなアロマ&フレーバーもちゃんと存在感をアピールしてくる、個性的なヘイジーWIPA。

飲みごたえバツグンで、やみつきになる逸品です。

ワイマーケットブルーイングのクラフトビール

NEW鬼ヶ島Ⅳ netherのブルワリー / ビアスタイル / 原産国

5種類のクラフトビールが注がれたグラス

IPAIPA

IPA(インディアペールエール)は、ペールモルトを使用して上面発酵で作られるペールエールの一種で、ホップの風味が強いことが特徴です。 1815年ごろにイギリスからインドに輸出するための長い船旅に耐えられるよう、ペールエールよりも麦芽を多く使用してアルコール度数を高めて劣化・腐敗を防げるよう保存力を高めたビールが開発されました。そして、1829年に「IPA(インディアンペールエール)」の呼び名で広告が掲載されて以来、ホップの比重が高いビールとしてイギリス国内で人気が高まっていき、21世紀にはイギリスで最も人気のあるビアスタイルの一つとなりました。イギリスのブルワリー教会SIBAの金メダルを受賞したブリュードッグの「パンクIPA」などが有名です。 伝統的なIPAのスタイルは、オーストラリアやニュージーランドなどの当時の植民地諸国へと輸出され、各国へと普及していきましたが、アメリカではさらに独自の進化を遂げてきました。 ローストしたモルトを使用した「ブラックIPA」、アミログルコシターゼという酵素を加えて頭部を取り除きドライで爽やかな飲み口を実現した「ブリュットIPA」、ホップが強烈でアルコール度数が7.5%を超える「ダブルIPA(インペリアルIPA)」、苦味の少ないホップを使い、ジューシーな柑橘系とフローラルのフレーバーが特徴の「ニューイングランドIPA(ヘイジーIPA・ジューシーIPA)」など様々なIPAのスタイルが存在します。
日本の風景

Japan日本

日本には、明治時代、全国に100を超える小さなビール醸造所が存在していました。当時は清酒以外の酒類には酒税が課せられておらず、ビールには酒税が課せられていませんでした。しかし、明治34年12月軍備増強のための国税収入のため、ビールにも酒税が課せられることになり、資金力の弱い小さなビール醸造所はその負担に耐えきれず姿を消していきました。これによりビール作りは戦後しばらくも資金力のある大手だけのものとなっていました。 しかし、1994年(平成6年)、経済政策の一環としてに酒税法が改正され、ビール製造免許に必要な最低製造量が、従来の年間2,000キロリッターから60キロリッターに引き下げられたことで転機がおとずれます。これにより、再び小規模な醸造所の市場参入が可能になり各地で多くの地ビールが誕生する流れができました。ちなみ、地ビール製造免許第1号は新潟県のエチゴビールと北海道のオホーツクビールで、国産地ビール第1号ともいえる「エチゴビール」 と「オホーツクビール」が発売されました。 この経済政策は功を奏し、日本中に続々と地ビール製造業社が生まれ、地ビールブームと呼ばれるまでとなり一時は260を超す醸造所が全国各地に誕生しました。しかし、ただブームだけに乗って参入したきた業社は、ビールの品質が低かったり、販路をもたなかったりと、地ビールの話題性だけでの経営は長続きせず徐々にその数を減らしていきました。 しかし、2011年頃よりクラフトビールに徐々に火が付きはじめます。それまでの醸造所/地ビールからブルワリー/クラフトビールというような呼称の変化も見られ、若者を中心にビールの新たなスタイルとして受け入れられるようになりました。一時は200程度まで減った醸造所も徐々に増え、現在では全国に300近くの醸造所が個性的なビールを作っています。