フェアステートブルーイングコーポレーティブダブルスピリットファウル

Double Spirit Foulダブルスピリットファウル

COLUMNアメリカの実力派ブルワリーのコラボDDHダブルヘイジーIPA

Fair State Brewing Cooperative(フェアステートブルーイングコーポレーティブ)とModern Times

Beer(モダンタイムスビール)、アメリカの実力派ブルワリーのコラボで生まれたSpirit FoulをダブルIPAナイズしたのがこちらのDouble Spirit Foul(ダブルスピリットファウル)。

ラベルはSpirit Foulのデザインと共通した印象のグラフィックですが、描かれている円の数が2倍以上になっている気がします。

グラスに注いだ液色はしっかりにごったイエロー。ホップジュース感を彷彿とさせる色合いです。

口に含むと濃厚トロピカルが炸裂。ストラータ全開でパイナップルアロマにモルティーな甘さ、ボディーの厚みがそっくりそのままパイン感を構成しているような味わい。

飲みごたえ抜群、大満足なDDHDヘイジーIPAです。

フェアステートブルーイングコーポレーティブのクラフトビール

ダブルスピリットファウルのブルワリー / ビアスタイル / 原産国

フェアステートブルーイングコーポレーティブのロゴ

Fair State Brewing Cooperativeフェアステートブルーイングコーポレーティブ

Fair State Brewing Cooperative(フェアステートブルーイングコーポレーティブ)は、アメリカミネソタ州ミネアポリスに2014年に創業されたクラフトビールブルワリー。 創業者のエヴァン・サリー、ニコ・トンクス、マシュー・ホークの3人は大学時代にラグビーを通して出会いました。 いつしかビール造りを楽しむ友人となり、醸造所を設立することを決心。一方で3人は、従来のクラフトビール醸造所の不透明な運営に課題を感じていました。そして、試みとして生協のモデルを持ち込んだ共同所有のブルワリーとすることを決意。その理念の通り「フェアステート」という言葉をブルワリー名に採用しました。 2019年、協同組合の会員数は1,500人を超え、ビールのレシピ開発や、サワーエール用のベリーの収穫などのシーンでビール造りに携わることができる他、限定醸造のビールを入手する権利や割引価格で商品を買うことができるなど、労働力と引き換絵に様々なスペシャルな体験を得ることができます。 今日に至るまで、その画期的なブルワリー運営モデルを通じて、クオリティの高いビールを多くの国々のクラフトビール ファンに送り届けています。
5種類のクラフトビールが注がれたグラス

IPAIPA

IPA(インディアペールエール)は、ペールモルトを使用して上面発酵で作られるペールエールの一種で、ホップの風味が強いことが特徴です。 1815年ごろにイギリスからインドに輸出するための長い船旅に耐えられるよう、ペールエールよりも麦芽を多く使用してアルコール度数を高めて劣化・腐敗を防げるよう保存力を高めたビールが開発されました。そして、1829年に「IPA(インディアンペールエール)」の呼び名で広告が掲載されて以来、ホップの比重が高いビールとしてイギリス国内で人気が高まっていき、21世紀にはイギリスで最も人気のあるビアスタイルの一つとなりました。イギリスのブルワリー教会SIBAの金メダルを受賞したブリュードッグの「パンクIPA」などが有名です。 伝統的なIPAのスタイルは、オーストラリアやニュージーランドなどの当時の植民地諸国へと輸出され、各国へと普及していきましたが、アメリカではさらに独自の進化を遂げてきました。 ローストしたモルトを使用した「ブラックIPA」、アミログルコシターゼという酵素を加えて頭部を取り除きドライで爽やかな飲み口を実現した「ブリュットIPA」、ホップが強烈でアルコール度数が7.5%を超える「ダブルIPA(インペリアルIPA)」、苦味の少ないホップを使い、ジューシーな柑橘系とフローラルのフレーバーが特徴の「ニューイングランドIPA(ヘイジーIPA・ジューシーIPA)」など様々なIPAのスタイルが存在します。
アメリカの風景

United States of Americaアメリカ

アメリカには6,000以上のビール醸造所があり、世界のクラフトビール市場を牽引している国のひとつです。 しかし、今日に至るまで、常にたくさんの醸造所がアメリカのクラフトビール市場に賑わいをもたらしていた訳ではなく、その歴史には紆余曲折がありました。 当時、アメリカのビール醸造所の数は1873年に一度ピークを迎え4,131箇所もありました。しかし、1920年から1933年にかけて、禁酒法と第二次世界大戦中の厳しいビジネス状況下でその数は50未満にまで落ち込みます。 1970年代後半になり、ホームブルー解禁の影響も受け、何千人もの人々が個人消費のためにビールの自家醸造を始めていました。その中、企業家精神を持った人々によってビジネスモデルが見出され、徐々にマイクロブルワリーが姿を現し始めます。 火付け役の一人となったのがカリフォルニア州にニューアルビオン醸造所を設立したジャック・マコーリフです。彼はアメリカ海軍に勤務している間、世界中を旅して様々な土地のビールを口にしました。そして、スコットランドに在住中、スコットランド人が飲むガツンとした飲みごたえのあるビールに夢中になり、海軍での任務を終えたのちに醸造所を設立しました。 1980年代初頭、ニューアルビオン醸造所はわずか6年あまりで事業を終えてしまいます。しかし、彼の成し遂げた業に何百人もの人々が触発され、その後1990年の初頭にかけて数十の新しい醸造所がアメリカに生まれます。 1990年代、何十ものスタートアップクラフトビール醸造所が熱心に技術開発に取組み、クラフト醸造の基盤を作り上げました。そして2000年代、アメリカビール市場におけるクラフトビールブームとともに醸造所の数は急成長を遂げ、かつての活気を取り戻したのです。