Camden Town Hells

Camden Town Hellsカムデンタウン ヘルス

COLUMNピルスナーとヘレスのあいのこビール

Hells(ヘルス)は、Camden Town Brewery(カムデンタウンブルワリー)のラガービールです。ドイツビールの2大ラガースタイルであるピルスナーとヘレスのちょうど間のようなビールです。ラガービールを愛してやまない同ブルワリーのフラッグシップ的位置づけの1本です。

ラガーらしい黄金色の外観、ライトなボディ、ドライ、爽やかな苦味、高くないアルコール度数といくらでもおかわりできる本当に飲みやすいビールに仕上がっています。

クラフトビールはIPAなどのキャラクターがはっきりしたものが多いですが、大手が多く造るラガーでもここまで個性を出せることに驚きました。うまい。

カムデンタウンブルワリーのクラフトビール

カムデンタウン ヘルスのブルワリー / ビアスタイル / 原産国

5種類のクラフトビールが注がれたグラス

Pilsnerピルスナー

上面発酵のビールをエール、下面発酵のビールをラガーと言いますが、ピルスナーはラガービールのスタイルの1つで、日本で流通している大手のビールのほとんどがこのピルスナーです。 19世紀にチェコのピルゼンで生まれた「ピルスナーウルケル」を発端に、世界中で最も広く普及しているビアスタイルで、淡色でアルコール度数は低め、キレのある爽やかなのどごしと、ホップの苦味が特徴です。 ピルスナーについて語るには、ラガービールのことを知る必要があります。ラガービールは、下面、低温、長期発酵を特徴とした比較的近代的なビールの製造方法です。この製造方法が確立された経緯は詳しくはわかっていないらしいですが、1年の半分以上が寒い時期である地方で、冬季にはビールの醸造が困難だという制約条件を打破するために考え出されたと言われています。 ピルスナーは淡い黄金色(それまではブラウンが主流)とスッキリとした味わいで人気を博し、いっきに市場に広まったと言われています。このスタイルが世界的に普及している理由としては、この万人受けする味わいと大量生産するためにそれなりの設備投資を要するので大手資本が続々と参入したためと考えられています。
イギリスロンドンの風景

United Kingdomイギリス

イギリス(United Kingdom)におけるビールの歴史は長く、それぞれの時代の世間情勢や生活様式と密接な関わりをもっています。 また、かのエリザベス一世は、朝から1リットルものビールを飲んでいたという逸話も。 今日わたしたちが慣れ親しんでいるビアスタイルたちはイギリスで生まれたものが多い。蜂蜜酒ミードから始まり、エール、ビール、ペールエール、ブラウンエール、ポーター、スタウトと発明されていきました。 古代イギリスに住んでいたケルト人が、イギリスで豊富に採れた野生の蜂蜜を水に溶かし発酵させた「ミード」をつくり楽しんでいたのが始まりだそうです。 次第に人口が増えていくと、蜂蜜をミードではなく調味料として使う割合が増えていき、ミードの代替品として穀物酒「エール」が生まれ庶民の生活必需品となっていきます。 各家庭でエール醸造は家事のひとつとして数えられ、エールづくりの上手い魅力的な女性は、修道院の訪問者が飲食や寝泊まりをするエールハウスを開き「エールワイフ」と呼ばれたそうです。 現在ではビールの主原料とされているホップがイギリスの醸造シーンで使われ始めたのは15世紀ごろで、それまではハーブを混合したグルートだけが使用されていました。 グルートを使用したものはエール、ホップを使用したものはビールと区別され、伝統的なグルートを使った醸造を固持するブルワーたちの影響でホップはなかなか普及しません。しかし、17世紀ごろになると、ホップはイギリスのエール醸造シーンにおいてメインストリームに躍り出ます。 18世紀になると、ペールエールと鮮度の高いブラウンエール、エイジングが進んだブラウンエールの3種類を混ぜて飲む「Three Thread」という飲み方が流行り、これを最初からブレンドして販売した「エンタイア」というビールが現れ、荷物運びの仕事をする人たち(ポーター)によく好まれたことから、後に「ポーター」と呼ばれるようになりました。 19世紀になるとポーター専業で醸造販売するギネスが高品質なポーターを開発し「スタウト・ポーター」として人気を博し、これにさらに改良が加えられたものを「スタウト」とギネスが呼び、今現在も世界中で楽しまれています。